マリオネットとカミキリムシの冒険

 

 

「ねぇ、みんなはちゃんと自分の足で歩けるのに、ぼくだけこんなに情けないんだろう」

「だんな、みんながはじめからちゃんと歩けたと思ってるのかい?」

「…違うの?」

「誰だって練習しなくちゃ、努力しなくちゃ、何も知らない状態で何かをするなんて出来ないんだよ。

ただ、みんな歩くなんて事は覚えてないくらい昔に、遊びの中で覚えてしまっただけなんだ。

でもきっと、誰だって、転んで鼻打ったり、すりむいたりして一人前に歩けるようになったんだと思うぜ」

「…そうなんだ」

「だから、負けんな」

「…うん」

 

 其の時、背中の方でかさかさかさ…と、草むらが揺れる音がした。

 

「な、なに?」

 

 ぼくたちは草むらを見つめた。

 

「…ずいぶん熱っぽく語るのねー」

 

 ぴょんっと飛び出てきたのは、しろうさぎだった。

 

「こんにちは。はじめまして」

「…はじめまして」

「話を聞いてたらおもしろそうだったから、出てきちゃった。あなた、操り人形だったの?」

「そうだよ。ロバートっていうんだ」

「ロバートくんね、よろしく。そちらは…虫?」

「カミキリムシだ! おまえさん、この森に住んでるのか?」

「そうよ。生まれてからずっと。あなたたちは、街から旅して此処まで来たのね。せんぶ聞いちゃった」

 

 うさぎさんは、耳を器用に動かしながら、楽しそうに話す。

 

「あたしね、子供が居るの。もう、ひとり立ちして、立派なオスうさぎになったけど。

あの子もね、生まれた時は飛び跳ねるのがあまり得意じゃなくて、

『そんなんじゃ、つかまって食べられちゃうわよ!』って、よく怒ったなぁ…って思って」

 

 懐かしそうに、うさぎさんは話す。

 

「何か、おやくにたてたら、と思ったのよ」

「コツ、とか…あるんですか?」

 

 ぼくは、おそるおそる訊いた。

 

「それはねぇ…自分でつかむものだと思うわ。でもね、あたし、息子にいつも言ってた」

記憶をたどるように、空を見つめたうさぎさんは、深く息を吸って、また、ぼくの目を見た。

「イメージしなさい、って」

「イメージ?」

「そう、イメージ」

 ぼくは、うさぎさんの次の言葉を待つ。

「自分が、うまく飛び跳ねる姿、森じゅうを駆け回る姿を思い浮かべて、

そうなりたいと強く願いながら跳ねてごらん、って」

 優しく笑って、うさぎさんはぼくに尋ねる。

「操り人形だったってことは…操ってくれる人が居たんでしょう?」

 ぼくは何も言わず、うなずいた。

「じゃあ、きっと、歩くっていうのがどんな事なのかの想像は簡単なはずよ。

その人が付いてると思って歩いてみれば良いのよ」

 

「それはだめだ」

 ぼくは言った。

 うさぎさんは、不思議そうな顔をする。

「どうして?」

「ぼくは、ボビーじいさんの所から旅立ったんだ。じいさんの記憶に頼って生きるなんて、情けなさ過ぎるよ」

「そうかなぁ?」

「え?」

「あたしは、そうは思わないなぁ。誰だって、1人じゃ生きられないもの。

記憶に頼るっていう言い方じゃなくて、支えてもらうっていうのはどう? 

それとも、其のおじいさんが優しくしてくれた、あなたを大切にしてくれた記憶まで消しちゃうのかしら?」

「そんな、消すなんて…」

 

 ぼくは急に寂しくなった。

「いつまでも記憶にしがみついて、ひとり立ちできないなんていうのはいけないけれど、

大切な人との大切な思い出を、ここぞという時に自分がくじけない為の支えにするのは、全然悪い事じゃないわ。

おじいさんも、あなたに忘れられてしまうより、そういう、心の中のお守りにしてもらえた方が喜ぶと思わない?」

 

 ぼくは、黙り込んでしまう。

 

「いやー、お前さん、良いこと言うねぇ」

 

 ずっとだまっていたカミキリムシが口を開いた。

 

「本当に、そのとおりだよ。だんなみたいに、1人で何でもやってやるっていう勢いも必要ではあるけれども、

いつかつぶれてしまう。そうならないために、思い出を抱えて生きていくし、仲間だって必要なんじゃないのかな」

「そうよ、うん、きっとそうだわ」

 

 カミキリムシとうさぎさんが、顔を見合わせて笑った。

 そして、ぼくにも笑顔を向けてくる。

 

 思い出…。仲間……。

 

 そう。

 じいさんがぼくを大切にしてくれたから、今のぼくがある。

 カミキリムシが誘ってくれたから、僕は旅に出れた。

 此処まで送ってくれた犬だってそうだ。

 ぼくは確かに昨日『君の事は忘れない』と言ったっけ。

 

 そうだ。

 そういった、大切な心の宝物を増やして、ぼくたちは生きていく。

 

「そっか…そうだね、うん。ありがとう。うさぎさんも、カミキリムシくんも…ありがとう」

「よせよ、照れるじゃなぇか、だんな」

「うん、うん、其の調子よ!」

 

 それからぼくは、夕方まで、立ち上がっては転び、立ち上がって少し進んでは転び…そういうことを繰り返した。

 となりで、カミキリムシとうさぎさんが冗談を言い合うのを聞きながら。

 ボビーじいさんの、狂いのないヒモさばきを思い出しながら。

 何度も何度も、チャレンジした。

 

 太陽が顔をかくしたころ、後ろを振り返ったら、昨日眠った場所にあった大きな木が、少し小さく見えた。

 

 今日は、其処で眠る事にした。

 うさぎさんは、家族の居る家に帰った。

 

 それから、何日くらい経っただろう。

 ぼくは、木と木の間くらいなら、ふらつきながらも倒れずに歩けるようになった。

 

「ずいぶん進歩したなぁ、だんな!」

 

 カミキリムシは本当に驚いた顔でぼくを見上げた。

 ぼくはちょっと照れて笑った。

 

「海につくころには、走れるようになっていたいなぁぁ…」

「そうか、そうか。夢はでっかい方が良いもんな!」

「そうなの?」

「そうだろ。だって、すぐにかなえられちまう夢なんて、頑張りがいがなくてつまらないと、おいらは思うけどな。

 でかい夢の方が、達成した時のよろこびもでかいしな」

「そっか…そうだね」

 

 ぼくは、じっと前を見て、また、歩き出す。

 

「海って、こっちの方角で合ってるのかなぁ?」

「ああ、うさぎに聞いておいたから、たぶん間違いない。

寒くなってきたら、鳥がいっせいにあっちに向かって飛んでいくそうだ。

だから、海はあっちだろうって」

「鳥も、海に旅をするの?」

「ああ…詳しい事は、おいらもよくしらねぇけど、寒くなると、暖かい場所に向かって飛び立つんだとよ」

「へぇぇ…。鳥さんも旅をするのか。ぼくたちといっしょだ」

「そうだな」

 

 もくもくと、歩き続けた。

 カミキリムシは、かさこそぴょーん、かさこそぴょーん、と前を行く。

 木1本分くらい前に行ったところで、草とじゃれあいながら、ぼくを待つ。

 そんな光景をぼーっと見ながら歩いていたら、久しぶりに転んでしまった。

 

「あいたたた……」

「だいじょうぶかい、だんな!」

「うん、平気……」

 

 やっぱり、まだまだ一人前にはなれないという不安と焦りが、ぼくの心にうずまいた。

 うじうじが、ぼくの体中に広がっていく。

 

「カミキリムシくんは、ぼくと一緒で平気なの?」

「え?」

 

 突然何を言い出すんだ、という顔でぼくを見かえす、カミキリムシ。

 ぼくは、早口でしゃべる。

 …嫌なことを言っているな、と気付いているのに、しゃべる。

 

「だって、そうだろ? 君だけの旅だったら、ぴょんぴょん飛び跳ねて、もっと早く動けたのに。

ぼくがいるせいで、休憩ばかりになって。ぼくが、君のじゃまをしてるように思えてしかたないんだ」

「……。」

 

 カミキリムシくんは、黙り込む。

 ぼくは、言ったことを後悔し始めている。

 先に口を開いたのはカミキリムシくんだった。

 

「…おいらだって、ひとりじゃ、此処まで来れなかったんじゃないかな」

「…え?」

「おいらも、多分ひとりじゃ、嫌になってたと思うんだ」

「……。」

「それに、ひとりじゃ、犬っころに助けてもらうなんてこと出来なかったと思う。

うさぎに、海の方向をたずねる事も出来なかった。おいらは見てのとおり、ちっぽけだ。

でかいやつらに気が付いてもらって話をしようなんざ、そんなに簡単にできることじゃない。

だんながいたから、そういうことも出来たんだ」

 カミキリムシが、ぼくを見上げる。

 

「だんなには、なにかしら他のやつらをひきつける力があるみたいだ。

話しかけて、相手をしてもらいたくなる、相手をしてあげたくなる。

そういうのって、誰でも持ってるものじゃねぇぜ」

「そんな、そんな良いものじゃないよ、ぼく…」

「そうじゃなきゃ、最初から話しかけてないし、さそってない。おいらが、仲間にしたいと思ったんだ。

一緒に旅に出れたらいいな、と思ったんだ」

 

「カミキリムシくん…」

「だからそんなさびしいこというなよ。だんなはおいらといっしょなのがいやなのかい?」

「そんな! そんな事ないよ、ぼくはうれしいよ!」

「じゃ、そんな事考えるなよ、気楽にいこうぜ」

 

 カミキリムシが、ニッと笑う。

 ぼくも、つられて笑った。

 

「長い長い旅だ。あしたやあさっての事じゃないんだから、そんなにあせんなくてもいいじゃねぇか」

 

照れたように、カミキリムシが草から草へぴょんぴょん飛び跳ねた。

 

「だんながそんなこと気にしてられるのも、あとほんの少しの間かもしれねぇぜ」

「どうして?」

「だって、おまえさんが走れるようにでもなってみろ。おいらなんかよりずっと先にすたすたすたすた行っちまうぞ」

「あはは。それってすごいや」

「おいていかないでくれよ、肩の所に乗っけてくれよ」

 

 カミキリムシの、本気の慌てようがおかしくて、ぼくはたくさん笑った。

 

「おいてなんか行かないよ。はやく、乗っけて走り回りたいくらいだ。いろんな所、連れて行くよ」

「おう、そのいきおいだ!」

 

 まるで、おひさまを抱え込んだように、心がすっきりと晴れた。

 仲間って、すてきな響きだ。

 大切にしたい。

 大切にしなきゃ。

 そして、海の向こうにいる、昔の仲間にも、会いたい。

 

 鳥が、群れをつくって飛んでいた。

 仲間で、どこかに向かっていた。

 ぼくらと、いっしょ。

 

「とりさーん! 海ってこっちの方角であってるー?」

 

 ぼくがちからいっぱい叫ぶと、群れの中の1羽が、空の真ん中で止まった。

 

「あってるよー。君も海へ行くのかい?」

「そうなんだ! 旅をしているんだよ!」

「そうか、わたしたちといっしょだな。ずっとまっすぐ行けば良いさ。いずれ見えてくる」

「ありがとーう!」

「たどりついたら、会えると良いな、健闘を祈るよ!」

 

 そう言うと、ばさばさと飛び立っていった。

 

「…ほんと、だんなはすごいぜ」

「え?」

 

 カミキリムシが、くつくつくつ、と笑う。

 

「飛んでる鳥に話しかけるなんて。すごいよ。おいら、びびっちまってだめだ。くわれるんじゃないかと思ってさ」

「あははは、だいじょうぶだよ」

 

 カミキリムシが、海の方角を、キッとにらむ。

 

「よし、方角はあってる、あとはすすめばいい。絶対に辿り着いてやるぞ、おーっ! …一緒に言えよ」

「えっ、あ、うん!」

「せーの…」

「おーっ!!」

 

 ぼくたちの声が、森にひびきわたった。

 

 旅はまだ、始まったばかり。




☆★ お わ り ★☆