マリオネットとカミキリムシの冒険

 

 ぼく、ロバートっていうんだ。

 人形遣いのボビーじいさんと暮らしてる。

 操り人形なんだよ。

 

 毎日毎日、操られてるんだ。

 公園で、子供たちの前で。

 みんな、笑ってくれて嬉しいよ。

 

 じいさんが糸を引くのに逆らわず。

 ただ、力を抜いていれば良いんだ。

 

 そんな毎日を不満に思った事なかった。

 子供たちはぼくを見て笑ってくれるし。

 じいさんは、ぼくを大切にしてくれるし。

 

 ぼーっとしてて良いんだ。

 何も考えなくて良いんだ。

 面倒くさい事なんて、何一つない。

 

 考えちゃいけないんだ。

 だってぼくは操り人形だから。

 でも、そんなある日…。

「よぉ! ロバートのだんな!」

 公園に住み着いているカミキリムシだった。

「なんだい?」

 ぼくは、地面にぺたりと横になる。

「だんなは、ここを離れて、どこかに行きたいと思った事、あるかい?」

「ないよ。どうして?」

 ぼくは首をかしげる。

「おいらさー、昨日ここで、子供たちのすげぇ話、聞いちまってよ」

 カミキリムシは、触覚を持ち上げ、興奮気味に話を続けた。

「この公園の外には、まだ広い地面が続いててな。其のもっと向こうには、海があるんだってよ」

「海?」

「そう、海」

 カミキリムシは、目を輝かせる。

「海ってのはな、でけぇ水溜りのようなものでな。でも、水溜りなんかよりずーっときれいで、青くてキラキラしてるんだってよ」

「へぇー……、海……」

 

 海か…。

 カミキリムシは、一生に一度で良いから海を見て見たいのだそうだ。

 明後日、ここを出て行くつもりだといっていた。

 

 海……。

 

 ぼくには、関係のない話。

 

 だって、ぼくには居場所がある。

 子供たちが笑ってくれる。

 じいさんも喜ぶ。

 それで幸せ。それが幸せ。

 

 何も考えない。

 動かされていれば良い。

 それで幸せ。

 

 これ以上なんて…知らなくて良い。

 

 次の日のステージを終えた後、突然、じいさんが話してくれた話を聞くまでは、そう思っていた。

 

―――お前も、長い事良く働いてくれてるね。

   ずっと1人で寂しかろうに。

   実はお前には彼女も友達も居たんだけれどね。

   わしがお前だけつれて、人形劇団を飛び出してきてしまった。

   子供たちが楽しそうにする姿を、もっと近くで見たいと思ってね。

   わしは、今、夢がかなって幸せだ。

   でもな、お前はそれで幸せかな、と思ったんだよ。

   海の向こうの遠い街を、

   懐かしく思い出す事もあるんじゃないかと思ってね…―――

 

 海の向こう?

 彼女? 友達?

 

 押し隠していた記憶が、わぁぁっと溢れ出した。

 

 そうだ、ぼく。

 泣く事をやめなきゃ、って。

 大好きなボビーさんに選ばれて出てきたんだから。

 カラッポのぼくでがんばらなきゃって。

 

 そう、ぼくは海の向こうからきたんだ。

 

 次の日。心はもう決まっていた。

「カミキリムシくん!」

 ぼくが叫ぶと、ちょこんと顔を出した。

「ぼくも…ぼくも行くよ! 海を目指すよ!」

 カミキリムシは、ちょっと驚いた顔をしていたけれど、ぼくがじいさんから聞いた事を話すと、真剣に聞き、うなずき、解ってくれた。

「そうか、おいらも仲間がいると心強いよ」

 笑ったカミキリムシが言った。

「今日のステージが終わったら迎えに来るよ」

 

 ステージの後、公園のベンチで休憩をしている時、じいさんが目を離した隙に、ぼくとカミキリムシは逃げ出した。

 ベンチから転がり落ちて、がむしゃらに転がり、公園の端の木の陰まで辿り着いた。

「…それ、邪魔じゃないか?」

 カミキリムシが触角で、ぼくについている糸をべいんべいんと揺らした。

 ぼくが、操られている理由。

 でも、ぼくが普通の人形じゃない事を示す糸。

 これからの長旅には、必要が無い。

 ボビーじいさん、ごめんなさい。

 ぼくは、其の糸を切ってしまうことに決めた。

 

「じっとしてろよ。でないとだんなの指まで切っちまうぜ」

 カミキリムシがぼくの腕にしがみつき、糸を噛み切ってくれた。

 ぼくは仰向けでじっとして、空を眺めた。

 じいさんや、子供たちとの想い出を、ぐるぐると考えた。

 泣かない。

 ぼくは、幸せを見つける旅に出るんだ。

 泣かない。

「ほら、切れたぜ」

 糸と、ぼくを操っていた棒切れが、転がっていた。

 さよなら、ぼくの半身。

「さ、行こうか」

 カミキリムシの声に、うなずき、立ち上がろうとした。

 

「あ、あれ? あれ? えっ、あれ?」

 

 ぼくは、一向に立ち上がることが出来なかった。

 

「ど、どうしたんだろう?」

 

 忘れていた。

 ぼくは、操り人形だったのだ。

 

「もしかして、歩けないのか?」

「…そうみたい」

 

 ずっと、操られていた。

 そう、自分の足で歩いた事なんてなかったのだ。

 悔しかった。

 切られた糸。

 もう、戻れない。

 でも、1人では歩けない。

 

 

 そのとき。

 物音が聞こえた。

 がさがさがさ。

 ドキドキして、ぼくとカミキリムシは、目を瞑って…物音が止まって、恐る恐る目を開けた。

「い、いぬ?」

 其処に居たのは、真っ白で大きな犬だった。

 カミキリムシは、飛びながら逃げた。

「おまえ、そんな所でぼーっとしてると喰われるぞ!!」

 

 ぼくは、動けなかった。

 その目に見据えられて。

 そして、糸をなくして。

 動けなかった。

 

 そのかわり。

 訴えてみる。

 

「ぼく、うまく歩けないんだよ。こんな事、想像もしてなかったんだ。ちゃんと、歩く練習もするよ。

だけどね、せめて、せめて…森の入り口まで行けたら、と思うんだ。こんな所で泥だらけのぼくを見たら、じいさんが悲しむからね。

森の入り口まで行ったら、ちゃんと歩く練習するよ。だから…だから、ぼくを、そこまでくわえて行ってくれないだろうか」

 

 心臓が、バクバクいっていた。

 体がばらばらになって壊れるかと思った。

 沈黙は、5秒にも、5分にも感じられた。

 

 諦めかけて、下を向いたとき、ぼくの身体は、ひょいと持ち上がった。

 

「あ……あ、ありがとう!!」

 

 そう、ぼくは犬にくわえられていたのだ。

 

「カミキリムシくん! 急いで! ぼくの足にしがみつくんだ!」

 

 カミキリムシは、ぴょんと飛び跳ね、ぼくの足にしっかりとしがみついていた。

 

 周りは、見た事のない景色。

 たくさんの家があって…でも、行けば行くほど、確実に家の数は少なくなっていく。

 ぽつりぽつり…となった家が、完全になくなって、じゃり道になっても、犬はゆっくりと歩き続けた。

 そのあいだ、ぼくもカミキリムシも、何も喋らなかった。

 

 それからどれくらい経ったのかな。

 日が落ちかけた頃に、犬はぴたりと立ち止まった。

 ぼくを、ぽとり、と落とす。

 

「…ここが、森?」

 犬は、ゆっくりとうなずいた。

 

 目の前にはたくさんの木々がわさわさとしげっていた。

 奥のほうは暗くて、何も見えない。

 

 ぼくは、犬のほうを向いて、深く頭を下げた。

 

「ありがとう。本当に助かったよ。おれいは何も出来ないけど…君のことは、忘れない。

これから先の旅の中で、きっと何度も思いだすよ」

 

 犬は照れてしまったのか、何も言わずのそのそと、来た方向へ帰っていった。

 ゆさゆさと、大きなしっぽを振りながら。

 それはまるで“バイバイ”と言っているように見えた。

 

「…行っちまったな」

 ようやく、カミキリムシが口をひらいた。

「…うん」

 ぼくも、返事をする。

「あのままずっと連れってもらえたら楽だったなー」

 おどけて、カミキリムシが言う。

「ダメだよ、それはダメ。ぼくたちの旅なんだから。犬が、一緒に行きたいって言わない限り、ダメだよ。

 あの犬には、ちゃんと帰るところがあるんだから」

「そうだな。おいらたちの旅だ。だんな、先は長いぜ?」

「覚悟してるよ」

 

「きょうは、そのへんの木陰で、もう休もうぜ。おいら、ずっとしがみつきっぱなしで疲れちまったよ。

 あと3分長かったら、振り落とされてたな」

「ふふふ。良かったね、落っことされなくて」

「おう。だんなも早く休むと良いぜ。明日から、歩く練習しないといけないだろ?」

「そうだね…頑張るよ」

「おう。明日に備えて、ゆっくり休もうぜ」

「うん。おやすみ」

「おやすみ」

 

 そうしてぼくらは1日目の旅を終えた。

 

 

 目を閉じていても、まぶたの中に感じる、まばゆい光。

 歌うような鳥の声。

 ぼくは、ひとつ背伸びをして起きた。

 今日からが、本当の、旅。

 カミキリムシは早起きで、草の上を飛び跳ねていた。

「何しているの?」

「体操だよ、体操。あんまり動かないでいると、体がなまっちまうからさ」

「ぼくも、歩く練習しなきゃ」

「おぅ、頑張れ。横からちゃんとついていくよ」

「うん」

 

 よろよろ、ぱたっ。

 ふらふら…ぱたり。

 ぼくは、歩く事がこんなに難しいことだなんて知らなかった。

 よろよろ…ぱたっ。

 ふらふら……

 

「あっ、あぶねえぞ、だんな!」

「ええっ? あっ、うわぁ!」

 

 どしん!

 

 ぼくは、大きな木に正面からぶつかってしまった。

 

「だいじょうぶかい?」

「う、うーん…鼻がへこんだかのように痛いよ…」

「だいじょうぶ、ちゃんと鼻は付いてるぜ、だんな」

「う、うん…」

 

 そして、少し休憩をすることにした。

 





後半へ続く。